鶴見橋関門旧跡

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93 month ago
文久2年(1862)8月、生麦事件の発生により、その後の警備のために川崎宿から保土ケ谷宿の間に、20か所の見張番所が設けられました。鶴見村には、第五番の番所が鶴見橋際に、その出張所が信楽茶屋向かいに、また、第六番の番所が今の京浜急行鶴見駅前に設けらられました。 明治時代に入り世情もようやく安定してきましたので、明治4年(1871)11月、各関門は廃止されました。(第五番・第六番は慶應3年に廃止)
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93 month ago
説明文⇒ 安政6年(1859)6月、横浜開港とともに、神奈川奉行は、外国人に危害を加えることを防ぐため、横浜への主要道路筋の要所に、関門や番所を設けて、横浜に入る者をきびしく取り締まりました。 鶴見橋関門は、万延元年(1860)4月に設けられ、橋際のところに往還幅四間を除き、左右へ杉材の角柱を立て、大貫を通し、黒渋で塗られたものでした。(続く)
  • 鶴見区鶴見中央2-19, Yokohama, Kanagawa, 230-0051, Japon, GPS: 35.513596,139.68082